2014年11月19日

「マリ共和国におけるボランティア活動、アフリカ農村女性ゼロからの出発」 岡谷市読書サークル協議会主催 文化講座

 11月8日、秋色に染まった信州、岡谷市の岡谷市図書館で、岡谷市読書サークル協議会の主催による文化講座で講演を行ないました。
講演のテーマは「マリ共和国におけるボランティア活動、アフリカ農村女性ゼロからの出発」です。
この講演会をご準備下さった岡谷市読書サークル協議会のメンバーはお母様方で、1960年から現在までの54年間、毎年各学校の小学校PTA母親文庫の代表者が集まり、読書活動や文学散歩、文化講座、図書館ボランティア、新聞発行、読書会等の学習を目的に活動を続けていらっしゃいます。
 当日は、午後1時半開催で、会場には約30人の市民の方々にお越しいただきました。
ボランティア団体としてのカラの、マリ共和国における現在までの活動と成果について講演いたしました。
なじみの薄い西アフリカのマリ共和国の、特に農村の人々の日常の生活や、活動に取り組む姿を資料をふまえてご覧いただきました。
 日本人と異なる環境の下、教育や医療設備が全くなく、時として食料不足に陥ること、出稼ぎを余儀なくされる状況、文字を知らない為に招いた不幸など、このような地域で生きる人達の日常を、うなずきながらお聞きいただけました。地元の新聞社の方もお越しになり、演者にとっても印象深い講演会となりました。
 当日の開催にご尽力下さった岡谷市読書サークル協議会の方々のご親切に、深くお礼申しあげます。
余談ですが、メンバーの方々がお持ち下さった、ご自慢の自家製お漬物がとても美味しく、この味もとても印象的でした。ありがとうございました。
posted by CARAブログ at 22:18| 講演会

特別講演@平成26年度 あま市市民活動祭 平成26年10月11日

愛知県 あま市の平成26年度市民活動祭にて展示と特別講演を致しました。
 このあま市主催の市民活動祭は、あま市国際交流協会の協力により、同日に開設されたあま市市民活動センターにおいて、市民活動団体の発表展示と特別講演会が開かれました。
 センターの1階にて市の役職の方々が多く参加され、市長さんのご挨拶についで、市民と共に開催式を行ないました。
その後2階に場所を移し、市民活動団体の方々の活動展示物で埋め尽くされた会場で、特別講演会が行われました。
特別講演ではカラ代表村上一枝が、現地マリ共和国の農村で、住民が自立へ向けた生活を目指して日々真摯に努力しているさまと、これらへ向けたカラの支援活動を資料を使用して経過と成果について講演を致しました。
 会場には、市民の方やカラの会員さんたち200名余りがお越しになり、現地マリの工芸品の展示も行われました。写真の、同国際交流協会の近藤さん(写真に向って右)と早川さん(写真中央)が主体となり、展示ブースにてマリの泥染めを説明し、ご支援をお願いして下さいました。
 あま市国際交流協会の前身は「甚目寺町国際交流協会」といい、大角佳生氏が代表を務められ、多文化共生を目的に2008年に設立され、愛知万博開催時に愛知県の「一市町村一国フレンドシップ事業」に於いて、当時の甚目寺町が、マリ共和国のホスト自治体となり交流をしたことが縁で、その後も継続してカラへご支援を頂いている団体です。
カラは、市町村合併前の甚目寺町の時代から現在まで、講演会やイベントに数回参加させていただいております。
皆さまの積極的なご支援に感謝致しております。ありがとうございました。

261011.jpg
posted by CARAブログ at 22:17| 講演会

2013年09月30日

カラの現地から 2013/9/30

 2013年の雨季の状況についてマリの現地スタッフから久々の報告がありました。
雨季は集中的な降雨があり、バマコ市内の連日の停電で連絡が不可能だった為です。

 カラの活動地域ではアチラコチラの村の識字教室や、村民の住宅が崩壊してしまったということです。
住宅はすべて土レンガの建設で鉄筋が入っていませんから、強い風と雨で崩壊してしまうのです。
昨年一昨年、そして今年もカラのコニナ村の宿舎の一部が崩壊しました。

子供5人をかかえるスマイラ家族は、一昨年の豪雨でコニナ村宿舎に住むことが出来なくなり、カラも資金不足で修理できず、残った一部の部屋にスマイラが住み、子供たちと奥さんはクリコロ町の親戚の家へ引っ越しました。
ケイタとアワ夫婦の住むモバ村の宿舎ではトイレが壊れただけでしたが、ケイタは「強い風を非常に怖がり、コーランを唱え一晩中眠ることが出来なかった」と、アワが笑っていました。ケイタは非常に慎重(怖がり)で珍しい食べ物も口にしません。今年の雨季の総降雨量は、400mm前後と、そう多くはないのでが、このように8/14の一晩で145mmも集中的に降ったり、大きな被害が出たということでした。
カラが過去に建設した識字教室は、壁面に針金を張り巡らせてありませんので、北東の壁面やトタンの屋根が飛んでしまいました。日本でも大風による多くの被害が出ましたが、日本のように直ぐに補修できない経済的状況でもあり、雨上がりの寒さで老人や子供たちが病気にならないことを祈っています。

今年はバマコ周辺で1000棟の家屋の崩壊と40人の命が失われています。
毎年降雨量が心配されていますが、多くても少なくても問題は発生し、作物も多くの被害を受けているようです。
今年もこのような天候だったために、食料不足をきたし、青年の出稼ぎも多くなるでしょう。
 雨季の間は村間の道路が決壊してしまい行き来が出来なくなり、セイドウはバマコ事務所から村へ行くのにも大変です。非常に遠回りをして、いつもの3倍時間がかかるということです。建物は通常トイレは外にあり屋根が付いていないため、トイレに行くのも難しいです。

 今進行中のJICA支援事業の識字教師の育成研修会、特にフランス語コースは、農繁期(7月から9月)には基本的に休みですが、6月終了時に学習内容が小学校4年生まで進み、だんだん難しくなってきたので、研修生の希望もあり復習の意味で7月に特別研修を行ないました。
 公用語のフランス語を読めて書けることは、職業に就く時にとても有利です。研修生は、熱心で研修会への出席を大事にしていますが、出稼ぎに行かざるを得ない人もいて、出席率は70〜80%です。
しかし3ケ月ごとの試験の結果を見ますと、成績に地域差がはっきり出ています。一番成績の優秀な地域はバブグ村の研修会です。成績が芳しくないのは、当然中央からはるか遠く離れたヌムブグー村の研修会です。
これは未だ小学校も無く、識字教室だけの地域ですから仕方がありません。
フランス語のコース研修生であるにも関わらず、バンバラ語のコースにも自主的に出席している女性もいます。勉強したいと願っている人が多いのに、それを満たすような環境が整っていないのは不幸な事です。
いわゆる、内に秘めた才能をもっともっと引き出して活用するよう仕向けることが、地域開発への早道かも知れません。しかし、問題もあります。出稼ぎ者が多く欠席者が出ることは仕方のないことですが、女性研修生が悠々と遅刻してくるのです。
スマイラは何度も注意しますが、依然として改まりません。送れて教室に入ってくるときも「スイマセン」と謝ることなどなく、とても堂々としているのです。日本人と意識が違うのでしょう。
このような態度は何年現地で働いていても、慣れることはなくストレスとして残ります。

 ついで、マリ大統領選挙が8月に無事意終了したことをお伝えします。有権者数は6,829,696人、投票率は51.54%でした。
イブラヒム ブバカリ ケイタ氏が今後5年間のマリ新大統領になり、9月4日に就任式がありました。
そして翌5日には、オマール タタン リー氏首相に就任しました。国民は新政府体制が整うのを期待しているということです。

1310-1.jpg
大雨で崩壊した識字教室

1310-5.jpg
トウジンヒエの畑と迫り来る雷雨

1310-2.jpg
モバ村への豪雨の道

1310-3.jpg
雷雨とカリテの実を採る女性

1310-4.jpg
トウグ村の街道が崩壊しハスが開花しました。
posted by CARAブログ at 17:58| アフリカの地より

2013年06月27日

国際協力NGOの情報誌「シナジー」158号 特集 TICAD V開催企画 アフリカを知るヒント

アフリカ支援を身近に感じていただくために・・・
アフリカは音楽や砂漠、闘争だけの国ではないのです。女性は賢く我慢強く、料理上手で親切(ややオセッカイ)、美しい自然の広がりは人生観を変えるほど・・・多くの魅力が満載している。


 現在多くの支援資金が日本からアフリカに注がれているのは承知の事実である。これらは、積極的な個人支援とは異なり我々国民の税金から出されていることに気が付かない方が以外に多いのではないだろうか?
支援する側としての自覚をあまり感じていないのも同様と思う。今回、当会NPOカラ=西アフリカ農村自立協力会(以後カラと略)の20年における世界最貧国といわれるマリ共和国農村地域での支援事業の経験を紹介する。
 
 所謂「発展途上国の人たちの自立」とうが、この言い方にも問題があり、彼らはそれなりに自立しているのである。日本で自立できない人たちが多くいる現状を考えると、他の国の人に自立を促すことは憚れることのように思う。
カラは1992年にNGO団体として発足し、それより前2年間同国バウグ村での個人ボランティア活動を踏襲したものである。自然環境の悪化が進む中で、昔からの知恵と工夫活かして生活している人たちが、未だ知らないが故に、多くの不幸を招いていることを知恵や技術を学び、自らの努力で将来の健康な生活へとつなげるようになることを支援している。
 所謂「学び・知り自分の生活は自分で切り開く!!」ことである。そうは言ってもその為の知識や得る手段を知らない人にとっては、ムチャクチャナことであるから、我々は村の人々の生活と自主性を大事にしながら、手段・方法を普及するのである。
 生きる為に必要なことは出来る限り支援するが日本から物や技術は持ち込まないで、現地の資材を現地の手法で活用することをカラは貫いてきた。教育・保健・環境保護・女性の意識開発・その他多くの事業(ハード・ソフト面)を同時進行している。

 
数多くの村と関わっているが、一様ではなく個性があり一定の成果を得るまでには、幾度となく困難に突き当たりマリの女性スタッフと頭を悩ましている。
 これまでの事業が現地の行政、治水森林局支所やコミュン、保健省支所、そして日本ではカラ会員や支援団体、その他から評価を得る様になったのは、人々の実生活に直接結びつく事項を事業の中心に実施し、現地の人々の意識に合わせて無理なく取り込んでいる為であると思う。そしてこれは、アフリカ人の心の動きや意識を知るカラのアフリカ人スタッフの功績によるものが大きい。

 
事業を人々にアピールし発展させるには、収入に早く結びつけ、喜びを与えることがいい。そうするとドンドン発展する。顕著な例が野菜を作って食べる野菜栽培と万国共通のおしゃれが出来る適正技術の習得である。
これらから収入を得て女性は金持ちになり、心豊かになって夫にも金を貸し、舅、姑に物を買い与えるようになって家庭内で立場が強くなる。と、しめたもので、裨益成果も大きい。
 今カラの花形事業は、女性が文字を書けなく学歴が無いので助産師研修を受けることが出来なかったが、今は地域で始めての村出身の助産師が誕生し、産院が開設したことである。
これは国の制度が変わったのではなく、助産師研修に参加で出来る力を付けたのである(学歴ではない)。必死の努力の賜物である。
 2000年にゼロだったのが2013年までに助産師が7誕生し7ケ村に産院が開設された。管理は村である。関連して村の主婦5人を保健普及員に育成し常にピンクのユニフォームで村民に保健学習を実施し、かなりの張り切りようである。
 結果、下痢も減り家族計画も普及した。勉強すれば技術を見につけ、仕事にありつけることを知り、女性の識字学習への参加や小学校就学率が高まった。
 女性が働いた原資を元に進行中である貸付資金事業も同様である。女性の将来に明るい兆しが見えてきた。これらの事業の発展が早いのは、女性に本来備わっている、家族や子供、夫を支える、という母性本能の一つの現れではなかろうか?
 カラが今までの20年余りの経験で得たことは、村古来の習慣やしきたり、自然環境の悪化に左右される人々の生活を理解することであり、苦労を聞いて同情するのではなく解決の道を共に考えるのである。
 そして顔はニコニコと親切で聴き分けが良いように見える人でも、金を持って来る人には常にイエスと言い、さもないと貰える物も逃してしまう、という貧困から来るずるさや甘えの部分もあることを知っていることも重要である。

 我々が現地で支援事業を順調に進めるには、我々の側にも多くの問題がある。
過激であるかもしれないが、マラリアに罹患することも、徒歩でなければその場へ行けないことも、彼らの苦しみや苦労を知る手段であり、苦労をすれば何が必要か、どうしたらいいか自ずと知るだろう。
 支援事業の主体は常に村人であり、我々の支援は彼らの命を支え、彼ら同志も互いに支え合うことである。
村の人たちの心に埋もれている才能・能力はアフリカ大陸のように広く深いだろう。それをうまく導き出すのも我々の使命である。
 我々側の資金で事業を進めるのであるが故に、上から目線になりがちであるが、その意識は直ぐに見破られて、嫌われ非難される。厳しい仕事であり自分への戒めが必要であると反省する。
 
 よく「現地へ行って支援したい」という声を聞く。行けないとなると、その人の支援したいという意識がそこで終わりであるように感じる。これは真の支援を考えてのことだろうか? 単に自己満足と憧れではないのか? 
 支援は、現地へ行くことだけではなく何をするかであり、それは、日常生活の延長上にあって日本に留まっての支援がなければ、現地事業は現実化しない。
そのことを多くの方に意識していただきたい。

ピンクユニフォーム.jpg

posted by CARAブログ at 23:24| 新聞・雑誌掲載記事

2013年05月09日

サハラ砂漠で考える (【小児歯科臨床】2013年3月号)

【サハラ砂漠で考える】
 アフリカを旅行した時に目に付いたことは、日本とアフリカの子供たちを取り巻く環境の違いでした。
「貧しい国の子供たちが可哀そう」「哀れ、惨め」と言うことではなく、将来を担う子供たちが、診療所もなく薬も買ってもらえないままに一夜にして命を落としてしまう、学校もなく教える人も場所もない、着るものも食べるものさえ充分に与えてもらえないままに、大人の手助けをして日々すごしている、このままでいいのだろうか? という疑問でした。

 個人ボランティアとして腰を据えた支援を考え、1989年8月31日に開業医を辞して同年9月にマリ共和国に渡りました。
最初のサハラ砂漠が作った美しい造形物ともいえる中での毎日は、容易なことではありませんでした。食料は週一回開かれる市場で買いますが、粗悪品が多く砂嵐の後は口に含むとザラザラしていました。しかしどんな場所でも故郷として人々は生きているのです。
 「水も無いし、病院も無いところから引っ越さないの?」と聞くと「ここは私の故郷だから離れない」と答え、村の看護師と話した時に「この村は結核が多い、食料がないから栄養が取れない、買う金が無いし金を得る手段も無い。病気になったら死を待つだけだ」と言うものでした。
 ある日トアレグ族の若夫婦がラクダに新生児を乗せて訪ねて来ました。胸部に大きな血腫がありそれを取り除いてくれと言うのです。勿論不可能です。この村で私が出来るとすれば、化膿している炎症を切開して抗生物質を塗布するくらいでした。この時ほど必要とされていることが目前に見えるのに何も出来ないでいる自分を痛感しました。
 日本での生活全ての面での無駄な豊かさを改めて思い、言葉や慣習・意識の違う中で「人々の役に立つ支援」「確実に生活の中に溶け込む支援」「彼らの未来を明るくするような支援」について考えました。
あせってはいけない、自分の多くを殺し人々に合わせる、常に誠実で忍耐強く本質を曲げないで進むことが大事であると考えました。
ボランティアの仕事は犠牲を伴うのが当然で、こちらの都合ではなく、現地の人々に合わせることが重要ではないか、と思いました。
 対症療法だけでは人々は救われないのです。私がこれまで学んだこと、知っていること、そして出来ることの範囲を充分に広げて現地の人々が納得するような結果を生み出すことが私に課せられたことではないかと考えました。
 夜の砂漠は月の光に輝き透き通るような美しさです。小高い砂丘が影を落としています。子供たちはバケツの底をたたいてリズムをとって歌い踊ります。それは日本の村祭りの夜のような響きで、冷く澄んだ空気を通して私たちの離れたキャンプまで聞こえてきました。美しい自然の中で生きている子供たちが、美しい生活が出来るように願わずにはいられないのです。

sika1.jpg
村上、村の女教師と続きを読む
posted by CARAブログ at 18:39| 新聞・雑誌掲載記事