2016年11月29日、久しぶりにバブグ村を訪問しました。
バブグ村はかなりの発展を見せ、診療所からは子供の泣き声が聞こえ、小学校では子どもたちが元気に校庭を飛び回っていました。
カラの宿舎にひとまずくつろぎ、さっそくアワが私の好物の「ヤッサ プーレ(鶏とたまねぎの料理)」を作って、みんなで賑やかなランチ タイムを過ごしました。
アシスタントスタッフのバジェ ファネはトウグニ地域のモバ村からバイクで約1時間半かけて、私に会うために来てくれていました。バブグ村のアシスタントスタッフにシャカ ジャラも加わったからです。バジェ ファネはアワが一番信頼を置くスタッフです。
私が彼に何か質問しても、口では答えずに首だけで返事をします。きっと恥ずかしいからなのでしょうが、アワは気に入らないようで、すかさず『村上さんが聞いているからチャント口で答えなさい! 2人も子供がいる父親なのに、なんて様か! 口は無いのか!』といささか荒い口調でいい、みんな大笑いです。
そこにバブグ村産院の助産師のジャラ クリバリーと看護師のギンドウが加わったのですが、この看護師も返事が1拍も2拍も遅れるのです。アワは「これでよく診療が出来るもんだ!」と首をひねっています。しかしバブグ診療所は、カラ開設した産院・診療所9ケ村の中では一番患者数が多く、10月は73人もの患者が来た、と言います。看護師は無口の方が信頼されるのかも知れません。
それに引き換え女性陣は、助産師のおしゃべりなジャラとアワ、村の女性リーダーのガンガ、さらにカラに集まってきた女性達が加わり、さらに私を加えて大変な賑いでした。どこの世界も女性が元気です。
それに引き換え女性陣は、助産師のおしゃべりなジャラとアワ、村の女性リーダーのガンガ、さらにカラに集まってきた女性達が加わり、さらに私を加えて大変な賑いでした。どこの世界も女性が元気です。
しゃべってばかりいないで野菜園を視察しようということになり、みんなでゾロゾロと出掛けました。
1haに満たない野菜園ですが、これから野菜園を囲む金網の柵が建設する予定です。
野菜園の隣には96年にカラが植林地第一号として造成した、村人がケアをする造成林があります。
見事に大きく育ったメリナやニーム、ユーカリは、もったいないので伐採はしないそうです。
野菜園はまだ防護柵が建設されていませんが、一部でタマネギが少しだけ栽培中でした。どうしてたまねぎばかりなの? と聞くと、「栽培が簡単だから」と、返事も簡単です。今はコットンの収穫で忙しいので、それが終わったらトマト・キャベツ・ナスなども栽培する、ということでした。
1haに満たない野菜園ですが、これから野菜園を囲む金網の柵が建設する予定です。
野菜園の隣には96年にカラが植林地第一号として造成した、村人がケアをする造成林があります。
見事に大きく育ったメリナやニーム、ユーカリは、もったいないので伐採はしないそうです。
野菜園はまだ防護柵が建設されていませんが、一部でタマネギが少しだけ栽培中でした。どうしてたまねぎばかりなの? と聞くと、「栽培が簡単だから」と、返事も簡単です。今はコットンの収穫で忙しいので、それが終わったらトマト・キャベツ・ナスなども栽培する、ということでした。
夕飯にはミレットの「トー」を作ってくれました。懐中電灯だけの灯りの下での夕食も、満天の星に助けられ、不便さもなくにぎやかです。何といっても未だにアワの先日の日本での話で盛り上がります。アワは人まねが上手く、出会った日本人の真似をしてみんなを笑わせています。本当に楽しかったようです。村の人に会うと「アワの日本への旅をありがとう」とお礼を言われます。日本では、あまりないことです。
夕食後に胸を打つ話を聞きました。それは、アワがモバ村滞在中に雇っていた少女の話です。
名前をザイナブーといい、彼女は14歳から働いていました。村の習慣で、既に親の決めた許嫁がカニカ村にいました。嫁入り道具を揃える為や、花嫁修業もあってのお手伝いさんでした。
アワがバブグ村に来る前に嫁に行くので退職してたのですが、そのザイナブーがアワを訪ねてバブグ村まで来たというのです。背中には1歳に満たない赤ん坊をおぶって、頭にみやげを乗せテクテクと2日がかりの徒歩の旅でした。
旅立つ前に彼女の村から片道10kmもあるモバ村まで行き、電話を持っている友人にアワへの連絡を頼んだそうです。夫に許しを貰っての旅です。
旅立つ前に彼女の村から片道10kmもあるモバ村まで行き、電話を持っている友人にアワへの連絡を頼んだそうです。夫に許しを貰っての旅です。
旅の初日はカニカ村から18kmのオロコロジー村まで歩きます。その夜は村の親戚に泊めてもらい、2日目にバブグ村を目指して、メンコロブグー、ドゴニ、ファニ村を経て24kmの道を歩いて到着したのです。
お店もなく、水も途中にある家で貰って飲みながらの旅です。きっと「アワに会いたい」と思う一念だったのでしょう。
そしてアワに、少しだけど・・と言って、本当に少しずつのティガニクル(豆の一種)、ササゲ豆とトウジンヒエをおみやげに差し出したそうです。
文字の読み書きもできない彼女なので、バブグへの道もよく知らないと推測されます。それでも途中で行き会う人にバブグ村への道を訪ね、到着したそうです。彼女の心情を想像すると、言葉では言い尽くせない感激を覚え、涙が出る思いでした。
お店もなく、水も途中にある家で貰って飲みながらの旅です。きっと「アワに会いたい」と思う一念だったのでしょう。
そしてアワに、少しだけど・・と言って、本当に少しずつのティガニクル(豆の一種)、ササゲ豆とトウジンヒエをおみやげに差し出したそうです。
文字の読み書きもできない彼女なので、バブグへの道もよく知らないと推測されます。それでも途中で行き会う人にバブグ村への道を訪ね、到着したそうです。彼女の心情を想像すると、言葉では言い尽くせない感激を覚え、涙が出る思いでした。
バブグ村での1週間の滞在は、満足の行くものだったのでしょう。毎日仕事のあるアワを助け、一緒に食事をして、一緒に笑い過ごした日々だったということです。
帰路もまた行き同様に2日かけてカニカ村へ帰って行ったそうです。約10日間の旅を許してくれた夫もキット理解ある優しい人なのでしょう。
苦労しても訪ねてくる人がいるアワ、苦労してでも会いたいと思う人を持っているザイナブー、何とも幸せな話ではないでしょうか。