2011年12月17日

マリ共和国への支援活動を通して学んだこと 2011年卒業生 牧野佳奈恵

 おはようございます。私も4年前は皆さんと同じ制服を着て、この講堂で同じように礼拝を受けていました。
今年の3月に宮城学院高等学校を卒業し、この春から東京女子大学社会学科で人と人との関わりの学である社会学を学んでいます、牧野佳奈恵と申します。

 今日は中高の卒業生として、毎年受け継がれてきた活動である【カラを通してのマリ共和国への支援について】と、【私自身が卒業して今改めて感じること】についてお話させていただきます。皆さんにとって少しでも有意義な朝の15分間になるといいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。

 今年から宮城学院生の一員としてこの活動に参加していく中学校1年生の皆さんもいらっしゃるので、まずはマリ共和国やカラについて、そしてそのことと宮城学院の文化祭で毎年催されているバザーとの関係性とは何なのかについて説明したいと思います。
 まず前提として、マリ共和国はアフリカにある国の名前です。そして、カラはその国の自立のために支援活動を行っている日本のNGO団体の名称です。

 マリ共和国の国土は日本の3.3倍ありますが、その2/3はサハラ砂漠が占めていて、人々は雨が降らない中での農作物の生産に大変苦労しています。
また、そのような、「生きる」という毎日の基本的な営みさえシステムとして整っていないマリ共和国では、当然衛生状態も劣悪で、現在の国の最重要課題はエイズの予防・撲滅だといわれているほど、その現状はひどいものです。
学校に行って勉強することもままならない人々は字を読むことも書くこともできず、生きていくのに必要な情報や知識はほとんど得ることができません。
文字が読めない人の割合は、全体で24%、男性よりも女性のほうがその割合が多いです。また、就学率も低く皆さんのように中学校に通える人は約20%程度、さらに高等教育を受けられる人はたったの2%に過ぎません。
ほとんどの村には病院も産院もなく、助産師など専門的な知識を持つ人もいません。畑で出産が行われるなど非衛生的な環境であるため、1位に挙げられる女性の死因は出産なのだそうです。
 そのような現状の中、マリの女性の結婚適齢期は15歳ですから、皆さんと同年代の女性達が家庭を持ち、平均にして7〜8人という数の子どもを産み育てています。
医療技術も、そしてお母さんの知識も乏しいために、結果として、生まれてくる赤ちゃんたちがまだ赤ちゃんのうちに死んでしまう率が非常に高い、という悲しい悪循環が起きているのです。
現地の子供たちが兄弟の数を尋ねられると、「生まれた人数?それとも生きている人数?」と、当たり前のように聞き返す、そんな現状が、マリ共和国にはあります。

 みなさんのような、若い年齢の少女たちの置かれている状況があまりにも違うことに驚いている人もいると思いますが、このような現状のマリ共和国の自立支援のために1992年に立ち上がったのが、「カラ」という略称で呼ばれている、西アフリカ農村自立協力会です。カラはマリ共和国の首都バマコから110キロほど北東に行ったバブグ村という所を拠点に33ヶ所の村で活動を行っていて、その主な活動の内容は、水を得るための井戸の作成、栄養改善のための野菜園造り、病気予防の知識を普及するための衛生教室の開催、そして識字教室の普及や教師の育成などです。
カラは特に女性たちの自立支援には力を入れていて、裁縫や布の染色、石鹸作りなどを通して今現在、現地の女性たちの活躍の場は広がりつつあります。
このような例からもカラの支援の方法は、お金や物資をただ送るような類のものではないことがわかります。日本人のスタッフが一緒に暮らしながら、現地の人々が適切な知識と技術を身につけ、意識を変えることによって、自分たちの力で健康で明るい生活を守り育んでいくことのできるような、そんな村のシステム作りへの取り組みなのです。
 そんなマリ共和国の現状とカラの存在を知り、ぜひ自分たちもその活動を応援していきたい、と考えたのが、2004年度、今から7年前に当時高校2年生だった私たちの先輩です。
そのきっかけは、マリ共和国とそれを支援するカラが題材として紹介されていた英語の教科書でした。

 先輩方は一人で活動を始めたカラの代表である村上一枝さんの思いについて学び、村上さんの言葉に深く感銘を受け、心を揺り動かされたのだそうです。
その言葉は、教科書にあった「隣人の家が火事になったとき、あなたは助けませんか?」という一文でした。そして、「勉強して終わりではなく、自分たちも何か役に立てないか」という声とともにこの活動が始まりました。
先輩方は、生徒一人一人が夏休みの期間に作品をつくってきて、それを文化祭にいらしたお客さま方や生徒たち自身に購入してもらい、その売上額をカラの活動のための費用として使っていただく、というサイクルを考え出しました。
以後文化祭でのバザーは少しずつ形を変えながらも毎年引き継がれ、2006年度には創立120周年記念の文化祭の収益金により、現地のマリ共和国に「識字学校」が建設されるまでになりました。

 先輩方のこの活動を通して、私は心に感じたものを他の人と共有し、そしてそれを実際に一つの行動へ移すということが可能なのだと知りました。
代表の村上さんは「宮城学院は生徒が西アフリカへの関心を持続し自発的に支援してくれる唯一の学校」と評価してくださっており、私たちの自主的なこの活動は、宮城学院の新たな伝統になりつつあるのです。

 2年前の文化祭では、私も参加し学年全体で協力して、私たちなりのバザーのお店を開くことができました。
文化祭にはカラの団体代表である村上一枝さんもお忙しい中いらしてくださって、生徒全員の前で直接お礼を言っていかれました。私は活動を通して、いらなくなったものをただ持ち寄るのではなく、遠く離れた困っている人のことを考えて心を込めること、これが最も大切な支援であり、先輩たちが伝えたかったことなのではないか、と考えました。
また、バザーに取り組む宮城学院生の姿をみて、私たちだからできること、もっと言えば私たちにしかできないことなのだなあ、と誇りを持ってそう実感しました。

 このように宮城学院で多くの体験をし、昨年の春に無事卒業させていただいた私ですが、大学生になって学校を離れた所から見てみて気付くところはたくさんありました。
自分が6年間という年月、どれだけ宮城学院の空気の中でのびのびと生活し、どれだけ多くのことをこの環境のなかで学んできたのか、本当に毎日考えさせられる日々でありました。
私の同級生の中には人生の明確な目標を持って希望に満ち溢れて卒業した友人も、宮城学院や学校という制度そのものに反発し、最後までわだかまりの残ってしまった友人もいます。
中高時代に良い思い出のある人もそうでない人も、さまざまです。
しかし卒業し数カ月が経とうとしている今、目標のあった友人は自分のしたいことはこれでよかったのかと思い悩み、不真面目な生徒だった友人は大学の勉強にのめりこんで毎日とても充実した日々を送っています。
だから私は、皆さんが今たとえどんな悩みや迷いを抱えていたとしても、それは永遠に続く苦しみではないし、かならず一人一人の特性に合った、皆さんにとっての「自分の場所」が見つかると信じています。
世の中には色々な情報があふれていて、特に3月11日の悲しみを抱えるここ宮城で、一体何を信じたらよいのか、自分は何のためにいるのか、わからなくなってしまうこともあるでしょう。
皆さんが中学生だからそんな深い悩みを抱えることはないとは決して思いません。
ただ、そんな葛藤の多い時代だからこそ、私はぜひ毎日のこの礼拝の時間を大切にしてほしいと思います。
聖書には興味がないかもしれないし歌うことが好きでない方もいらっしゃるでしょう。しかし、わたしはこの15分の時間×6年間の重みが私自身の多くの部分を形作っていることを知っているし、その事実は確実に私の自信につながっています。

 先ほども述べたように、私は私自身の経験から、宮城学院は、自分から手を伸ばせば色々な事を吸収でき、先生方や友人たちが心から応援し支えてくれる、そんな環境の整った学校だと思っています。
今年は大地震の影響で、学校の始まりが1カ月遅れてしまったと聞きました。しかし人は弱い時にこそ強いものです。
ぜひ皆さんは、マリ共和国への支援を始めた先輩方のように一致団結して一つひとつのことに取り組んでいってください。
卒業するときに、宮城学院に入ってこの仲間と出会えてよかったと思えるように毎日を過ごしてください。その事がバザーや文化祭の成功につながると思います。
マリ共和国やカラ・そして私たちの先輩の想いについて知識を得た皆さんは、そして地震のあとの電気も水も食べるものもない生活も身をもって経験した皆さんは、きっと心をこめて、マリ共和国の一人一人のことを思って作品を完成させてきてくれるでしょう。
時間や手間をかけてわざわざ手作りしたものをお金にかえる・そのことの意味を皆さんはきっとしっかり理解してくださったと思います。
今年の夏、創立125周年を迎える文化祭で活気あふれるバザーを催している皆さんに会えることを楽しみに、またここに帰ってきたいと思います。
posted by CARAブログ at 03:08| イベントの寄稿