現在マリは政情不安定のために渡航が難しいため、現地スタッフをダカールへ呼び、カラの活動について打ち合わせをするための出張でした。ダカールへはジャワラとスマイラ、そしてラミンが来ました。
久しぶりにスタッフと再会し、村の情報を聞き、事業は計画通りに順調に進んでいることを確認しました。しかし問題は、会員の方々のご支援で建設している3カ村の新規産院です。
2ケ村(キバ村とコニナブグー村)では建物の建設が終了し、現在はベットや分娩台、戸棚を製作中です。
しかしママブグー村では、長老の1人が土レンガでの建設に反対し、セメントレンガでの建設を主張しているために、建設が始まっていないと言うことでした。
これはカラとの最初の契約に違反しますので、理解が得られない場合には、他村へ建設することとしました。もう一度スタッフのアワが交渉する予定となっています。
この3産院で働く助産師3人の育成は12月で終了します。特にコニナブグー村から研修に出ている女性は優秀なため、看護士の勉強もすることになり、1ヶ月研修を延長することになりました。このための費用は村が負担します。
ここでチョット楽しい話を。
マリから来たスタッフのスマイラは初めて飛行機を経験しました。東京事務局スタッフから事前に「飛行機に乗る時には靴を脱ぎ、機内に入ったら自己紹介をするように」と(ふざけて)伝えてありました。
ダカールでスマイラにあったら「海にも挨拶した」と笑っていました。なんとスマイラはストライプのスーツを着ていました。一生に一度のチャンスに多分無理をしたのでしょう。
ダカールの街での昼食はマリの2倍以上の値段で驚いていましたが、マリでは食べたことのない海魚のムニエルのホワイトソースに感激、仕事の後には、海や船を見に行って喜んでいました。
2mを超える身長の男性の多い中で、アフリカの民族服装は見かけず、スーツスタイルの人が多く、バマコとのあまりにも違うダカールの発展にも驚いていました。
帰国時には空港で6時間以上も待つようでしたが、満足のいく感激的な出張だったとのことでした。
アフリカのパリと言われ、国際会議も多く開かれているダカールの発展は目覚しいです。日本とはチョット違った感じの「すし屋」も数件あり、プラスチック製の大きな大仏を飾っているレストランもありました。
バマコの様にバイクや自転車は殆ど見かけなく、乗用車が大半でした。しかし街は道路の破損箇所も多く、その上とても不衛生でした。ジャワラは「バマコの方が田舎だが、やっぱりバマコがいいな・・」と言っていました。
写真は、スマイラが挨拶したダカールの海です。【夕暮れの海岸とモスク(イスラム寺院)】
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